揺れる遠霞に手を伸ばす by sako






「失礼します」

執務室に、高すぎない声が響く。
扉を開けたホークアイ中尉の前には、書類が山と積まれた大きな机と、主の居ない椅子。
また、サボりか。眉をひそめて背中を向けるホークアイだったが、その耳に、何か紙の
擦れる音が聞こえてくる。振り返り、目線を下に向けてみれば、机の下に誰かが居る。
部屋の主は、来訪者に頓着することなく、ごそごそと手を動かし続けていた。

「何か、お探しですか?」

「ん?ああ、ちょっと、帽子をな。年始の挨拶回りが終わった後、この部屋のどこかに
放っておいたんだ。そうだ、君、知らんかね?」

「あいにくですが、この部屋の家捜しをしたことはありません」

ばさり、と何か紙類が散らばると、机の下、彼女の上官は不機嫌そうに唸った。
整理整頓が苦手なこの上官は、定期的に遺失物捜索をしている。
そろそろ執務室の管理も自分の仕事にしなければならないのか。
探し物に夢中の上官に気づかれぬよう、ホークアイは自らの額をそっとおさえた。

「そうか。どこに置いたんだったかな・・・」

ぶつぶつと独り言を口にしながら這い出てくると、今度は大きな机を背にして、両開きの
棚を開ける。その中は、危ういバランスで積まれた箱と、重ねた書類の山。
雪崩が起きないこと自体、奇跡だ。

「お持ちした書類、どこに置きましょうか?」

「お、あったあった」

返事はなかったが、その代わりに探し物が見つかったらしい。
その手には、正装時に着用する帽子が握られている。

「箱にでも入れとけばよかったな」

うっすらと埃が被っている帽子を眺めると、机の上に無造作に置いた。
そして、空いた右手を差し出し、ホークアイからバインダーを受け取る。
パラパラと紙をめくりはじめると、先ほどまでの騒動が嘘のように静かな間が広がった。
顎に手を遣り、時折小刻みに頷く横顔は、軍人としての精悍さをすでに取り戻していた。
机を挟んで真向かいに立ちながら、ホークアイはその様子を眺めている。
まばたきをした視界の隅に、先ほどの探し物が目に入った。

「木曜日、でしたか」

「ああ。少将は顔が広いからな。財界やら政界やら、人がわんさと来るらしい。
まあ、慰労会というのは名ばかりで、言ってみれば単なるロビー活動だ」

逆を言えば、上を目指す人間にとっては顔を売る格好の場であり、手広いコネクションを
育成するまたとないチャンス。有力者とのパイプを持つことが叶えば、その者の将来は
大きく変わる。権力者が集う社交場には、この手の話が付きものだ。

「ああいう場にはありがちだが、女性をエスコートするのが好ましいそうだ。
まったく、どこも家庭持ちと決めつけおって・・・まあ、実際そうらしいんだがな」

「そういうものですか」

「君、木曜の夜はどうなっている?」

「19:00から夜勤です」

「じゃあ、ハボックと交代しろ。私から言っておく」

「送迎時の護衛なら、すでに別の人間を手配済みですが」

「知っている」

「それとも・・・何か不穏な動きが?」

「いいや。そんな話はないな」

意図の見えない上官命令を前にして、一瞬、返答に窮する。
執務室に、迷いを含んだ沈黙がじわりと広がった。

「君も来い」

手元の書類に目を落としたまま、さらりと言う。
会議へ招集する時と、同じ調子で。
あるいは、事件現場に彼女を同行させる時と、変わらぬ声色で。

「あ、あの・・・大佐?」

「心配はいらんよ、無理矢理ドレスを着せようなどとは思っていない。
私のように正装をしてくれればいい」

「大佐、そうではなくて、」

「仕事は公用扱いだ。きちんと手当てもつける。後は・・・」

「大佐!」

多少荒げたその声に、上官はようやく顔を上げる。
明らかに動揺した顔が、きつい眼差しで彼を睨みつけていた。

「そういった場所には、もっとふさわしい方が居ます。私が同行して、何のメリットが?
いずれはセントラルに拠点を移すのですから、この機会を逃す手はありません」

なぜ、私なんです?
言葉を発するたびに困惑の色は濃くなり、それは徐々に憤りへと姿を変える。
そんな彼女を前にしても、上官は顔色ひとつ変えず、黙って彼女の話に耳を傾けていた。

「つまり、君はふさわしくないと?」

「わかっていらっしゃるのなら、早急にどなたかお声を掛けて下さい。
大佐なら、そういった方をご存知でしょう?」

「では、聞くが」

バインダーを片手で閉じると、真剣味を増した眼がホークアイを見据える。

「君は私の副官だろう。違うか?」

「いえ、仰る通りです」

「ならば、私の側に居ろ」

一瞬絡み合う、ふたりの目線。
探る目つきと、読めない瞳。

「・・・護衛、という意味ですね?」

諦めにも似た溜息とともに、ホークアイが問いただす。
張り詰めた空気は、そこで解かれた。

「それで構わん。詳細は追って連絡する。他に用はあるかね?」

「いえ、特には」

「なら、今日は上がって結構だ。残業が続いていたからな、久しぶりに早く帰りたまえ。
可愛い忠犬が腹をすかせて待っているのだろう?」

話を切り出されるのを恐れるかのように、上官は矢継ぎ早に言葉を連ねる。
彼女はといえば、困惑した表情を浮かべたまま立ち尽くしていたが、

「・・・では、失礼します」

一礼すると、半ば追い出される形で部屋から出て行く。
扉の閉まる音と同時に、放り投げたバインダーがカタリと鳴った。
机に手をつくと、すぐ横には先ほど見つけたばかりの帽子が転がっていた。
それに目を遣り、じっと見つめる。
すると、再びのノック音。

「失礼しまっス」

顔を覗かせたのは、ハボック少尉だった。
いつものように、煙草をくわえたまま机に近づいてくる。

「これ。欲しがってた書類ス」

「待っていた。助かる」

書類を受け取ると、椅子に深く腰掛け、目線の高さに持ち上げる。
文字を追う速さは、先ほどとは比べものにならなかった。
ハボックは、そんな上官の姿をじっと見下ろしていたが、最後のページに辿り着いたのを
見届けると、おもむろに口を開く。

「で、木曜日の夜勤。別にいいんスけどね、」

話の途中で、ガタリと物音がした。
見れば、机の端についていた肘がはずれ、体勢を崩している。

「何、動揺してるんスか」

「・・・貴様、居るなら居ると早く言え。じゃなかったら、出直すなりしろ」

書類の奥から現れた顔は、苦み走ったものだった。

「それ急がせたの、大佐でしょ。不可抗力っスよ」

書類を指さすハボックに唸り声をひとつ上げると、再び書類に目を戻す。
不機嫌さを隠すことなく眉根を寄せたその横顔に、ハボックは息をひとつ吐くと、

「なんで、そんな偉そうに誘うんです?
普通に言えばいいんスよ。連れて行きたいって」

「誰がそんなことを。私は、己の責務を果たせと言っただけだ」

「責務、ねえ」

胡散臭そうに呟くハボックに、上官の目線はますます鋭くなる。
それを軽々かわすと、

「んじゃ、他に用もないので、失礼しゃっす」

おざなりな敬礼をして、ハボックは扉の奥に消えていった。
書類の内容は、既に頭に叩き込んでいる。書類は、そのまま処理済の山の上に運ばれた。
誰もいなくなった部屋の中、帽子を手に取り、表面を軽くはたく。

「そう簡単にはいかんのだ・・・バカ者」

帽子を目深に被ると、どさりと椅子に背をもたれた。




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